ワールドカップ、日本チームのロッカー片付けに同調圧力を想う

ひとりごと

素晴らしいことなだけに言いにくいんだけど、私はこの文化が苦手だ。

ワールドカップでドイツと試合後に、日本チームがロッカーをぴかぴかにきれいにして、感謝の気持ちを込めて折り鶴と手紙を置いて行ったというもの。

外から眺めるぶんにはすばらしい。ただ、これがいわゆる同調圧力と自己犠牲の堂々たる例だと思う。

身の回りを整理整頓して、去る鳥跡を濁さずレベルでない。

折り鶴を折ろうか、手紙を残そうか、と誰かがいったの?コーチが?選手の誰かが?それにみんなが賛成して折り鶴を折ったの?日本代表のサッカー選手が?

想像するだけで寒気がする。

手伝いの誰かがすべて片付けて、折り鶴も折って、これがただのパフォーマンスであればいいのに、と強く思ってしまう程に。

同調圧力が感じられる場面、庶民の例に例えると、新人歓迎会で集団で踊りを踊る、とか、先生に怒られたからクラスの全員であやまりに行こう、とか、お金を集めて部長にプレゼントを買おう、とか。

仕事は終わったのにみんなより早く帰りにくいとか、行きたくないのに会社の飲み会に参加するとか、今までの日常でたくさんあるけれど。

世界がすでにコロナ前と同じような生活をはじめていても、いまだにマスクを外せない世界観が、物語る。

日本人サポーターたちが、サッカースタジアムのゴミを拾って帰るという素晴らしい行いも、同調圧力そのものだ。

サッカースタジアムに残されたゴミを拾う、という日本人の素晴らしい行いが定着したことによって起こる、他の日本人への無言の圧力と、それに従わなければ今後やりづらくなると思いそれに従う自己犠牲。

集団での行いが、それが正しいことであればあるほど、茶番劇のように感じてしまうような人は、海外で暮らすしかない。

そして、外国人は、日本人の行いに対して、素晴らしい、ワンダフルなどと言っても、真似しようなどとは微塵も思っていないと思うんだ。

だから私は、どれだけ圧をかけられても、自分でゴミは落とさないけども、他人のゴミは拾いません、帰ってビールを楽しく飲みます、グッバイアディオス、くらいの精神でいたいんだ。

Cocoaプロフィール
cocoasan

2014年、旅行でたまたま訪れたシンガポールに魅了され、32歳で現地採用の銀行員としてシンガポールに移住しました。現在は、フィットネスジムを経営する夫を手伝いながら、シンガポールで子育てをしています。

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コメント

  1. 岡本啓 より:

    ファッション。拾い映えだね。普段はやらないのに、この時期になると急にね。渋谷で朝まで盛り上がった日本人サポーターは渋谷のゴミを拾って帰ったのか?

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