娘がもう少しで、6歳になる。
誕生日が近づくにつれて、いつも思い出すのが、産院でのあの八日間。今までの人生がごろり、と回転した日。
どれだけ準備をしていても、母になったときの自分なんて想像ができないでいた。それまで人一倍自由に、自分のためだけに生きてきた人間が。
帝王切開の前日。緊張で寝れなかった。
寝れないのは、子供を育てる不安からではなくて、腹を切る怖さから。
寝れない夜に読んでいたのは、育児書なんかではなくて、大好きな「夢を叶えるゾウ」の新刊。
夜の見回りに来た看護師さんに「勉強熱心ですね」と言われた。きっと、私が出産前日に育児書をよみふけっていると、思ったのだろう。
赤ん坊が産まれて、かわいいと思うよりも、足のむくみと、胸の痛みが辛かった。
はじめて産院でシャワーを浴びれる日。赤ちゃんを看護師さんにあずけて戻り「預かってくれてありがとうございます。」と声をかけると、「この子じゃないですよ。ココアさんの赤ちゃんは寝ていますよ。」と言われた。
自分の子供を間違えた恥ずかしさで、赤面して泣いてしまったり。
ミルクを哺乳瓶で飲ませているときに、赤ちゃんが吐き戻した。パニックになってナースコールを何度もおしたこと。
食事中に赤ちゃんが泣いたときには、ナースコールを押し「食べてる途中なんですけど、泣いちゃったんですがどうすればいいですか?」と聞いて、「がまんしてくださーい。」と言われたこと。
沐浴を教えられても、終始おろおろし。
うんちのふき方を教えられたときには、へっぴり腰になっていた。
私のことを名前でよんでいた看護師さんや助産師さんは、子供を産んだとたんに、私を「お母さん」と呼び始めた。私としての個性が剥奪されたと心の中で抵抗してみたり。
そのころから、確実に変わった、考え方も、価値観も、思想も、信念も。少しづつ、築き、積み上げてきたはずの自分だったのに。
あれから私は、「もう教わることなんてなにもない」と思っていた両親にどっぷりと助けられ、「関わりたくない」と思っていたママ友を頼り、一度は子育ての重さに押しつぶされそうになった旦那とも、「子どもを育て上げる」という一大プロジェクトの戦友になった。
あのときの赤ん坊は、今では私より物知りで、おしゃれに敏感で、聡明な女の子になった。
毎日を生き延び、生かすことだけで精いっぱいだった日々はひとまず落ち着き、今は未来を見据えながら、娘の個性をどう伸ばしていくかを考えている。
目下の目標は、英語のフォニックスを伸ばすこと。
6年前の私が聞いたら、きっと笑うだろう。
人を育てるって、こんなに大変で、こんなにも楽しい。
娘がひとつ年をとるたびに、私もひとつずつ母としての年を重ねる。
