常夏シンガポールより

2014年シンガポール渡星。シンガポール在住イタリア人と国際結婚。現在子育て中。

コロナ禍で離れ離れになった家族の取材をうける

先日地元の友達から、「あんた家族のことを記事にしたいっていう新聞記者がいるんだけど、紹介していい?」と連絡がきた。「あんた家族のこと話したら、相当記者が興奮しちゃってさ、是非取材受けてほしいんだって。」と。

 

え?新聞記者が興奮するほどの私家族のスペシャリティっていったい何?何かあるとしたら、国際結婚、ハーフの子どもということだろうか。。

詳しく話を聞いていくと、どうやら「コロナ禍で離れ離れになった家族」の取材先を探していたらしい。

 

やっと納得した。

コロナ禍で7か月も離れ離れになったシンガポールにいる旦那と、日本にいる妻。その間に日本で娘が産まれ、その娘に会えていない旦那。妻と娘はシンガポールに帰るめどさえついていなく、ビデオ電話でのやり取りのみが父と娘をつないでいる状況下にある私家族。

 

私家族以外の適任はなかなかいない。

私はこころよくオッケーを出し、昨日新聞記者が北海道の実家に取材にきた。そして私は失態を犯す。

 

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まず、新聞記者さんは私と娘が旦那とビデオ電話をしている写真を撮った。離れ離れになった家族にビデオ電話での会話は不可欠だ。

 旦那は顔が細く見えるように黒いマスク着用で、準備万端だったし、娘は私の1番のお気に入りのハートの洋服を着、私は3か月ぶりに髪を結ばずにおろした。

 

その後は、家族がコロナ禍で離れ離れになったいきさつと、苦悩などを質問されるインタビュータイム。

「奥さんは日本に里帰りした後、シンガポールに帰れなくなったんですよね?その時の心境は?」「コロナ禍で娘さんを出産されたときのお気持ちは?」「旦那さんは娘さんに会えないことをどう思ってらっしゃいますか?」等、今回の取材の趣旨に沿った質問が繰り返される。

 

記者さんが私に質問をする、私が記者さんのの質問に答えて、記者さんが使い古したノートにメモをとっていく、というのを繰り返しているうちに、どうやら私は、「この人は、私のストーリーを記事にしたいんだ」と勘違いしてきたらしい。

 

記者さんの「娘さんはいつお生まれになったんですか?」という娘の誕生日を答えればいいだけの質問に対して、「私は北海道の田舎町を出ようと決めたのは、確か16歳の頃です。」と話し始めた。

 

「え?」と一瞬困惑する記者さんに、私は目で、メモを取るようにさえ促し、話を続けた。

 

「はじめはもちろん怖かったですけど、出てみたかったんです。北海道の外に。日本の外に。それがアメリカって、遠いから、って話ですけどね。」と鼻につく冗談をいい、私だけが笑う。

 

壊れたラジオのように、私は自分の生い立ちをストーリー仕立てで、困惑する記者さんに話し続けた。

 

自分でも、ちょっと違うよな、と思いながらも、どうしても止められなかったのだ。

自分という個性を捨て、「お母さん」という生き物になってからの3か月。今一緒に住んでいる両親以外の人間に会うことはこの3か月の間に何度あっただろう。私に質問をし、興味を持ってくれる人には、久しく会っていなかったことは確かだ。

 

旦那が、「5年前の僕は30キロやせていて引き締まったからだをしていてね。」といつも人に言いふらすのを冷めた目でいたが、やっと気持ちがわかった。

 

私の母親が、「私は高校生の時モテモテだった。」と言い続ける気持ちも。

 

人とは、もう2度と戻ってこない過去の武勇伝を、誰かに知ってもらいたくてたまらない生き物なのかもしれない。

 

私の「アメリカの大学を出て~、外資の銀行で働いて~」という自慢話を困惑顔で一通り聞いた記者さんは、「で、娘さんの誕生日は?」と聞いてきた。

 

そして畳みかけるように、「コロナ禍で国をまたいで離れ離れになった娘さんとお父さん、きっといい記事になります。」と。

 

私の一人情熱大陸は終わった。どんな記事が新聞にのるのか、楽しみだ。

 

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