コロナ禍のことだった。シンガポールで子供を産むはずだった妻は、妊娠してすぐに一時帰国で日本に帰った。仕事があった自分は、数日後に日本に行って合流し、一緒にシンガポールに帰ってこようと思っていたのに。
その数日の間に、世界は変わった。
シンガポールは国境を閉じ、自分は日本へ行けなくなり、妻はシンガポールへ戻れなくなった。
僕の父親物語は、そんな不自由から始まる。
妻のお腹が大きくなるのを見ていない。赤ちゃんの胎動を感じたこともない。
送られてくるエコー写真を見てもわけがわからない。
娘は、日本で産まれた。
義母から送られてきたビデオでは、帝王切開後の妻が酸素マスクをつけていて、ただ不安だった。
赤ちゃんはどうやら、僕に似ているらしいけど、どこが似ているのかわからない。
娘にやっと会えたのは、生後5カ月の時。
夢にまで見た我が子との対面で、娘は自分を見て泣き叫んだ。
親友だったはずの妻は、母になり人格が変わっていた。
自分だけがついていけない。父親に、家族に。
のしかかる金銭的な責任。自由がなくなる感覚。夜中に何度も起こされる生活。
こんなはずではなかったと、自分になつかない子供を追いかけながら、何度も思った。
でもね、だんだんと意思疎通できるようになる娘。
今では言い負かされるほど、賢くなった。
ユーモアのセンスも抜群で、毎日笑わせてくれる。
自分を必要とし、手を伸ばしてくれるようになった。出張に行けば「パパは?」と泣き、帰ってくれば飛びついてくる、その娘の重みを。
利益さえでればいいと思っていた自分のビジネスも、娘に残せるものはなにかと考える。娘が大人になったときの、世界の平和に貢献できないか、なんてことをまじめに考えながら。
この6年間、娘は少しずつ自分を父親にした。
6年前の自分が聞いたって、きっと信じないだろうけどさ。
父親である責任を背負うことは、こんなにも大変で、こんなにも楽しい。
娘がひとつ年をとるたびに、自分もひとつずつ父としての年を重ねる。
