私の主観でしかないけど、ヘルパーを雇う家庭を見ていると、いくつかのパターンがある。
- 家族の一員です、と優しさを前面に出す欧米系の家庭。
- 一切の妥協なく、完全に使用人として割り切る中華系の家庭。
- 距離は保ちつつ、人としてフラットに接しようとする日本人。
どれが正しいとかはないし、優劣もない。
ただ、日本人の場合、丁寧に、優しく接しているつもりが、気づいたらなめられてる、ってパターンは正直多い気がする。
二世帯で一軒家に住んでいるシンガポール人の友人の家には、ヘルパーが三人いた。子ども担当、親担当、家全体担当。
その家では、ヘルパー同士で会話することを許しておらず、少しのことで普通に怒鳴られてた。
普段は優しい私の友人も、ヘルパーがおかずにラップをしたままテーブルに出したとき、「ゲストがいるのに何やってるの」と強く言っていて、その場にいた当時三歳の娘が驚いて泣いた。
三人ともほとんど笑わないし、数年で何人も入れ替わっていて、もう誰が誰だったかも分からない。
一方で、知り合いのアメリカ人家庭。「ヘルパーは家族であり友人」と言い、会話にも必ず入れて、食事も一緒にして、テレビもソファで一緒に観る。
最初は、いい人たちだなって思ったけど、どこかちょっと気持ち悪かった。
あまりにもフラットに見せようとしていて、逆に不自然というか、茶番劇。僕らパーフェクトなファミリーだろ、を演じているような気がして、不快だった。
こういう違いって、文化とか歴史も関係してるんだろうなとは思う。
欧米の家庭って、歴史や過去の背景もあって「自分たちは違う」という見せ方をするし。
あと、ヘルパー側にも相手や人種によって態度を変える部分はある。特に白人家庭に対しては、あからさまに反抗したりすることは少ない印象。
だから、日本人の、空気を読むとか、言わなくても分かるでしょ、みたいな前提は、この関係では機能しない。
優しくすることと、関係を保つことは、全然別。
むしろ、ちゃんと線を引いて、言うことは言い続けて、「見てるよ、I am always watching you」っていう静かな圧を保つくらいが、ちょうどいいのかもしれない。
あと、日本人女性の特徴としてもうひとつ思うのが、ヘルパーがいても「母親としての役割」はなるべく自分でやりたい、という感覚。
子どもと過ごす時間は自分で取りたいし、料理も全部任せるのではなく、できるだけ自分で作る。
休みの日に遊びに連れていくのも自分だし、仕事から帰ってきても、お風呂に入れて、寝かしつけまでやる。
頼ろうと思えば頼れる環境なのに、あえて全部は委ねないとかね。
ヘルパーがいるのに、軽い自己犠牲をしているままこの関係に入ると、相手との間に、ズレが生まれるのは当たり前でもある。
この、中途半端なゾーンにいる限り、どこまでが相手の仕事で、どこからが自分の役割なのか、常に揺れるからね。
しかも、日本人特有の「察する文化」があるから、明確に言葉にしないまま進めてしまう。
まあ、結局「優しさ」だけで回る関係じゃないってことで。
