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コロナ禍で離れ離れになった家族の取材をうける2~コロナから学んだこと

「コロナ禍で離れ離れになった家族」の特集ページに私たち家族のストーリーを記事にしたい、と取材を受けてから数週間、今朝それが新聞に載った。

 

取材をうけた話は↓

 

私の母親は、「孫の顔が見えないじゃないか」と激怒して、「なんで記者が来た時に娘の顔をメインにうつしてくれ」と言わなかったんだ、とブツブツ言っていたけど。

新聞を見て、離れ離れの娘と父親の心温まるストーリーに胸を打たれたという友達からは、「娘ちゃんがパパをじっと見ててせつない。泣きそうになったよ。」と連絡がきた。主観と客観の違い。

私的には、この記事が私たち家族の思い出になるのが嬉しい。

 

もう約1年弱もコロナ禍の中で、街でクリスマスソングを聞いたり、クリスマスのデコレーションをみたりすると、急激にしんみりとくさいことを考えてしまう。

愛を与えれる人になろう、とか、健康でいることが大事、とか、世界に平和を、とか、繰り返し何度も何十回も聞いてきた言葉を、ダサい、とか、ありきたりだとかバカにしてこれてたのは、それらがもう手の中にあったからだ。それか若かったからか。

 

去年流産した時、悲しみの中で周りの人に愛を与えてもらった。娘が産まれた時、健康でいられることがどんなに大切か知った。そしてコロナ禍で大切な人に国をまたいで会えないとき、世界が平和であるようにとを心から願う。

 

近い未来、「あんな時もあったよね。」と家族で笑いあうだろう。

 

娘はいずれ、世界史で「世界恐慌コロナ禍2019年~2020年」と習うだろう。その時私たちはドヤ顔で、「あなたが産まれた時はコロナ禍でね。。」と、昔話をはじめて娘にうざがられるだろう。

 

早くそんなときが来るといいな。


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