娘の2歳の誕生日

シンガポール子育て

イタリア旅行と、シンガポールに帰ってからの時差ぼけが言い訳で1か月以上も更新していなかったブログ。。

旅行について感じたことなどは追って書いていくとして、今回は娘の2歳の誕生日について。

イタリア旅行から帰ってきてすぐ、娘は2歳になったけど、時差ぼけを予測していた優秀な私は、誕生日当日は様子をみながら夕飯を食べにいく、くらいの予定にして、翌週の週末に友人を招いて誕生会をやる計画をした。

イベントごとになると、楽しいという気持ちだけが先走ってしまう少年の心を持った旦那は、それでも娘の誕生日当日にシンガポールにいる全ての知り合いを招きたいと言い、100人分のバーベキューを自分が振る舞う、などと言ったり、ピエロを雇うと言い始めたと思えば、急にみんなで船の上で誕生会をやるのはどうだい?などと提案してきたりした。

彼の提案すべてを、私はたわごと、と断定し、木っ端みじんに却下し、予算を考慮しながら、子供と大人が両方楽しめるようなパーティーを地味に計画していった。

フルーツやチーズとクラッカー、チップスと野菜スティックといった軽食のみにし、お酒は多めに用意。もちろんバースデーケーキを用意して、子供むけにちょっとしたゲームをやりましょう、というプランにし、準備をすすめ、迎えた当日。

コロナで自粛を余儀なくされてから数年、夫婦でいつも仲のよかった飲み友達たちは相変わらず笑わせてくれたけど、それに子供だできてから知り合った大切な友達たちが加わり、

子供がいてもいなくても、結婚しててもしてなくても、国籍も全く違う人たちが一緒に笑いあえたのが本当に楽しかったし、みんなも楽しんでくれたと思う。

ただ一人、主役の娘を抜かしては。

当日彼女は、全く昼寝をせず、パーティがはじまる直前に深い眠りにつき、私は眠る10キロをかついだまま、次々と訪れるゲストに愛想を振りまいた。

娘が寝てる間に来てくれて、帰ってしまったゲストも数名。

2時間ほど寝た後で起きた娘は、急に数十人にとりかこまれ、おめでとうおめでとうと手足をつかまれ、不機嫌極まりない。

地面に足をつけることさえせず、ずっと私に抱っこをせがみ、ふてくされた表情のバースデーガール。

ほら、お友達と遊ぼうよ、と言っても泣き、ケーキを食べようと言っても泣き、バースデーソングを歌っても泣いた。

私的には1番喜んでほしかった人に全く喜んでもらえずに、とほほ、という気持ち。

その夜思わず泣きながら、母親に電話してしまった。

こんなにがんばって色々準備したのに、娘にとっては迷惑なことでしかなかったのかな。

ここ数日、準備で娘にも旦那にもイライラして、そんな風になるのなら家族だけでお祝いすればみんなが幸せになれたのに、とか。

そしたら母親は、私を育ててるときの自分をみているようだ、と言って、得意げに笑った。

喜ぶだろうと思って連れて行った東京ディズニーランドで、ミッキーを目の前にギャン泣きする私。

喜ぶだろうと思って連れて行った子供の音楽イベントでは音に怖がりギャン泣きし、誕生会を開けば友達とけんかをし泣き、弟がケーキを落とし怒って泣き続けた子供の頃の私。

同じくらいの年の子供たちは、ミッキーに喜び、音楽に合わせて楽しそうに踊っているのに、なんでこの子は。。と母は何度も思ったらしい。

「でも私がやってあげたかったんだよね、子供にとっては迷惑だったかもしてないけど、私が楽しかった。」と言った母親。感情的だけど、根っからポジティブな母親らしい言葉だ。

娘の喜ぶ顔を思い描きながら、パーティグッズの店をはしごしたことを思い出す。

テーブルにはピンクのテーブルクロスをかけようと、お友達みんなでシャボン玉で遊ぼうと、カップケーキを作ろうと、フルーツはハートで型をとろうと、あわただしくも、ワクワクでいっぱいだった数日を思い出す。

結果的に子供が不機嫌だろうと、だからなんだ。

後になれば笑い話になるような思い出を、これからもたくさん作ろう。

母になって、2年が過ぎた。

https://www.kokoasan.com/entry/hahaichinen-07192021

https://www.kokoasan.com/entry/hahaninaru-08052020

Cocoaプロフィール
cocoasan

2014年、旅行でたまたま訪れたシンガポールに魅了され、32歳で現地採用の銀行員としてシンガポールに移住しました。現在は、フィットネスジムを経営する夫を手伝いながら、シンガポールで子育てをしています。

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