一時帰国を終えて、やっとシンガポールで娘を保育園に通わせられると喜んでいた矢先、娘が保育園拒否反応をおこしている。
1日目は久しぶりにお友達に会うよ、先生に会えるよ、と言うと本人は楽しみにして保育園に向かったのだ。
一時帰国中に生徒が多くなり、先生が変わった。
1歳半からずっとみていてくれ、信頼していた先生は、一時帰国中に辞めた。
明らかにみる、娘の混乱。「帰る!」と泣き叫ぶ娘を新しい先生に預け、逃げるようにして保育園を後にした。
その日お迎えに行くと、他の子供たちが元気に走り回る中、娘は1人で座り絵本を読んでいた。それはまた、とてもつまらなさそうに。
お迎えに来た私に、新しくはいった気の強そうな先生が、「あなたの娘はシャイですね。お友達がダンスを踊ってるときも輪に入っていきません。でも大丈夫、この私があなたの娘を変えてみせましょう。」と自信満々に言ってきたときに、ああ、娘が苦手そうなタイプだな、と思ってしまった。
悪い人ではないんだろう。ただ、世の中には馬の合う人と、馬の合わない人がいるように。
そして昨日は、「まま、なんでLaoshi(中国語で先生)いないの?」と、娘の大好きだった先生の不在を私に聞いてきた。
娘が大好きだった先生は一時帰国中にやめてしまったこと、そのかわりに新しい先生が入ったことを説明したら、私の話を黙って聞いた後に「Laoshiとまたねしてないよ。」と言った。
胸が痛い。
娘は、彼女の中で一生懸命状況をのみこもうとしているけど、大好きな先生とお別れしていないのが腑に落ちないのではないか。
私が、ごまかしたりせず、保育園に行く前、一時帰国中に娘の大好きな先生はもういないことを言うべきだったのだ。
幼稚園に行くのが嫌だ、小学校に行くのが嫌だ、中学校は登校拒否をし、高校では単位ぎりぎりだった不機嫌きわまりない自分自身を思い出す。
その時々で、私は自分が世界の中心で私だけが辛いのと悩んでいたけど。
あのときの私と関わってきた親の憂鬱を想う。それでも彼らが必死に向き合ってきた、正解のない子育ての無限ループを想った。
私だって正解は一生わからないだろうけど。
娘はもう一度先生に会うと、自分の気持ちを昇華できる、そう考えて先生に連絡をとった。
娘の大好きな先生に、娘が先生に会いたがってること、一度会ってきちんと娘とお別れをしてほしい、と伝えると、喜んで承諾してくれた。
先生は娘にとって、家族以外で心を開いた最初の、とても大切な人間なのだ。
一時的にかかわったことのある大人、ではないのだ。
娘に来週先生と遊ぶよ!と言うと顔を輝かせて喜んだ。
会った時にはなにをしようか、なにをあげようか。
たぶん娘の記憶に一生残るであろうこの日のために、できることを考える。