COCOA'S BLOG

娘に綴るあれやこれ。常夏シンガポールも10年目。国際結婚ワーママの日常

3月11日

15年前の今日。

 

私はオフィスで、遅い昼食を食べているところだった。
赤坂のオフィスビル地下二階のスタバで。

 

その時、地震があった。


でも大きな建物の地下にいたので、体感は震度3から4くらいの揺れ。

周りの人たちも動かない。

 

そうしていると、どどどどどっという音とともに、なだれのように人がエスカレーターで地上へ逃げていくのが見えた。

 

地下鉄に乗っていた人たち、地下鉄のホームにいた人たちの群れだ。

 

その時になってはじめて、スタバの中でゆったりしていた人たちが
「あれ?やばいのかな?」という空気になり、慌て始め、私も地上へ向かった。

 

地上に出て、唖然とした。
逃げまどう人々。

 

そして、地上37階建ての、私が働いているオフィスビルが、右へ左へと大きく揺れていた。

その揺れが「耐震のためにわざと作られた構造」だということは頭では理解していた。

でも、実際に地震で揺れているところなんて見たことなんてなかった。

 

今にも壊れそうなビル。

建物が右へ傾くと人々は左へ逃げ、
建物が左へ傾くと人々は右へ逃げた。

 

あのビルの中、オフィスにいた同僚たちの恐怖は、相当なものだっただろう。

 

ひとりでビルを見上げながら唖然としていると、
一目散に非常階段で逃げてきたという同僚たちが現れた。

 

「タクシーを拾って帰ろう」ということになり、私もオフィスには戻らず、そのまま一緒に帰った。

 

地震が発生してすぐだったこともあり、タクシーもすぐにつかまり、渋滞もまだひどくなく、私は家に帰ることができた。

 

 


それから半年後、私は友人たちと一緒に福島へボランティアに行った。

ボランティアという名の観光ツアー。


あわよくば出会いもあるかもね、なんて。

ほんとうに恥ずかしい動機とともに、夜行バスに揺られて現地へ向かった。

 

被災地は、私たちのようなボランティアであふれていた。

震災直後に、いてもたってもいられず現地へ駆けつけたわけでもない。
お金に少し余裕があり、時間もある。

 

そんな似たような若者たちが、半年もたってから、宿も食事も移動手段も手配されたボランティア活動に手を挙げ、被災地に来ていた。

 

私たちは班に分かれた。

・がれきの片付けをする班
・仮設住宅に住む人の心のケアをする班
・海からあがった写真などの思い出の品を洗い、体育館へ運ぶ班

 

私は、海からあがった「思い出の品」を整理する班。

みんな、遺品とは呼ばず、思い出の品という言葉を使っていた。

 

震災から半年以上経っていても、新しく運ばれてくる思い出の品は次々とある。

思い出の品の多くは、写真や似顔絵、賞状、トロフィー、メダル。
時計や財布、衣類などは別の場所に回されていたようだった。

 

言われた段取りを覚え、「さあ、どんどんさばいていきましょう」と張り切った私は、
写真の泥を落とし、水で洗い、干す作業をてきぱきと進めた。

 

写真の中の思い出には、目もくれず。

 

私の働きぶりに、地元のおばさんが申し訳なさそうに声をかけてきた。

「ねえ、あのね。そんなに早くなくていいの。この写真の中の人が無事でいてほしい、とか、そう思いながら、遅くてもいいから丁寧にやってあげてほしいの。」と。

 

はっとする私に、おばさんは本当に申し訳なさそうに、

「ごめんね。せっかく東京から、自分のお金で来てくれたのにね。」と続けた。

 

ごめんなさいは、こっちなのに。

 

それから私たちは、ゆっくりと写真を洗って干しながら、

「この子かわいいね」とか、「このケーキ、どこのお店のだろうね」とか、たわいもない話をしながら、どうか、みんな、どこかで生きていますように、と願った。

 


 

私たちが洗って干した思い出の品は、
作業していた敷地の小学校の体育館に集められた。

 

地元の人たちが自由に見て回り、自分たちの思い出を連れて帰るというシステム。

私が体育館に写真を並べに行ったとき、写真をじっと見ながら探している夫婦とおばあちゃんがいた。

 

お父さんが突然、「あったぞー!」と大声をあげた。

奥さんとおばあちゃんが慌てて駆け寄る。
お父さんが持っていた紙切れを見た瞬間、お母さんは膝から崩れ落ち、泣き叫んだ。

魂が抜けてしまうのではないかと思うほどの力で。

 

ボランティアを仕切っていたおばさんが、夫婦にそっと歩み寄り、なぐさめていた。

あとで聞くと、双子の女の子を震災で亡くしていて、娘の書道の賞状を見つけて泣き崩れたのだという。

 


被災地では、ふかふかのおにぎりとお味噌汁がふるまわれた。
東北の秋の寒さの中で、その温かさが体に染みた。

こんなボランティアツアーで来た私たちにまで、優しくしてくれる人たちの気持ちも。

 

こんなに綺麗な海で、こんなに優しい人たちが暮らしていた場所で。

 

あの日からずっと、
絶望と後悔と悲しみの中で生きている人がいる。