COCOA'S BLOG

娘に綴るあれやこれ。常夏シンガポールも10年目。国際結婚ワーママの日常

娘の初登校と、あの日の私

娘のインター校1年生1日目。

 

娘の誕生日からはじまり、ローカルの保育園を2週間前に退園し、日本に一時帰国していとこたちとたくさん遊び、シンガポールに帰ってきて引っ越しの家を決めた。

 

7、8月は考えることもやることもたくさんあって忙しかった。

 

そして今日、娘が(Primary1)小学1年生になった。

 

朝6時に起きて準備をすること、バスで1時間ほどかけて学校に通うこと、お弁当を持っていくこと、親にとっても全てが新鮮。

 

新しい生活が、はじまった。

 

人と溶け込むまでに時間がかかる娘は、嫌がるだろうなとは思っていたけど、案の定を通り越して、クラス20人の中で1人だけ泣いた。

 

私の髪の毛をひっぱりつづけ、おうちにかえるーーと叫び、優しくなだめてくれる先生たちの手をふりほどき、必死な顔で、私に手をのばす。

 

わかるよ。嫌だよね。前の保育園に慣れるのだって、1年ほどかかったんだよ。やっと仲いい友達できて、保育園が楽しくなってきた矢先、また新しい環境なんて、やってらんねーよね。

 

この知らない子供たちの中で、知らない大人たちの中で、半日過ごしたくないよね、わかるよ、気持ちは痛いほど。でもバイバイ、またむかえにくるから。

 

家に帰ってきて、考えないようにしても考えてしまう。「喉は乾いてないだろうか、お腹はすいてないだろうか、トイレに行きたいときに言えるだろうか。」と。

 

せつなくて、日本にいる母親に電話して、娘の様子を話しながら、少し泣きそうになりながら言葉に詰まっていると、母親が「私もあんたがアメリカに留学したときは、辛かったよ。」と言った。

 

18歳だったあの頃、私は怖さを知らなかった。

 

外にでることになんの躊躇もなく、語学の壁は心でなんとかなる、なんて言ってた無知な若造。

 

北海道の田舎の、裕福でもない普通の家庭で、アメリカに留学をさせてくれた両親の心の広さと、勇気と、そして心配と、不安を想う。

 

あの頃、格安航空なんて便利なものはなく、通話無料アプリなんてものは存在せず、世界はもっとずっと遠かった。

 

時差があり、文化が違い、ましてや言語の壁のある遠い世界に自分の子供を、子供の意志のみを尊重して送り出してくれた私の両親は、なんて強い。

 

アジア人としていじめられたとき、ストーカーにあったとき、飲酒運転で捕まった時、言葉の通じない遠い異国にいる18歳の私のことを想い、どれだけ心配で、眠れない夜を過ごしただろう。

 

5歳の娘が小学校に通い始めて、新しい環境になったからって、だからなに?という気分になってきた。

 

数時間後には会える。迎えに行くから。寂しい思いも、抱えきれない不安も、私にぶつけて。