
ここ数週間、かわいいお弁当を作ろうと、張り切っていた女がここにいる。
新学期がはじまって、日本の幼稚園っぽいお弁当を一度作ったら、「かわいくておいしかった~」と娘が帰ってきたのがきっかけ。
一年生の時は、日本っぽいお弁当を恥ずかしがり、みんなパンだからご飯を入れるなと言われたり、手でささっと食べられるような外国式のランチボックスを好んでいた娘。
私は出る幕なしだったので、ヘルパーにパンやらフルーツやらチーズやらを詰めてもらっていた。
こんなんでいいの?
こんな毎日同じでいいの?と思いながら。
みんなの真似をしたい時期が過ぎたのか、日本式のお弁当を作ってと言われたら、待ってましたとばかりに張り切りだした私。
柄にもなくインスタで「かわいいお弁当」なんてリサーチしながら、早起きして作った。
「ママ、今朝はこんなの作ったよ」と、大げさに娘に見せたり。
自分が作った弁当の見栄えばかりを気にして、「お弁当箱、斜めにするんじゃないよ」と娘に指示したり。
娘に作ったお弁当の残りを自分の弁当にして、会社へ持っていった。
昼時には弁当を食べながら、「娘は全部食べたかな。おいしかったかな」なんて思い出したりして。

娘が学校から帰ってくると、一番に「お弁当おいしかった?」と聞いた。
「全部食べたよ」と娘が言ってくれるのが嬉しくて、それがまた翌朝の活力になった。
ヘルパーがいるのに、娘に持たせるお弁当は私が担当するようになって、二週間が過ぎた頃。
そろそろ「不器用ママが作る、子供用お弁当」なんてインスタのアカウントでも作れるんじゃないか、と浮足立っていた。
そんなある日。
娘が学校から帰ってくるなり言った。
「ママ、お弁当今日も食べたよ。お腹痛かったけど、頑張って全部食べたんだよ」
え?
「お腹痛いのに、食べたの?」と聞くと、「うん。だって全部食べたらママ嬉しいでしょ」と、誇らしげに娘は言った。
ああ。
弁当作りに魂を売った愚かな女が、ここにいる。
学校で何をしたか。
今日はどんな日だったか。
誰と一緒にランチの時間を楽しんだか。
そんなことを考えずに、私は娘が、自分の作った弁当を喜んだか否かばかりを気にしていた。
私が、「娘がお弁当を食べてくれてるかな」と、喜ぶ娘の顔を想像しているとき、
娘は、「全部食べたらママが喜んでくれるかな」と、私が喜ぶ顔を想像していた。
だから、お腹が痛いときも無理して全部食べたりしたんだろうね。
子供に与える愛情に、見返りなんて求めていないはずなのに。
勝手に与えて、勝手に期待して。
だから、本日の教訓。
「弁当に、愛情の重点を置かないこと。」
今朝からは、さっと弁当を作り、何食わぬ顔で持たせた。
「適当に作っといたから。食べたいなら食べれば」くらいの温度感で。


