
一番初めにセックス・アンド・ザ・シティを観たのは、アメリカに留学してすぐのころ。私は十代だった。
寮のルームメイトもはまり、英語のクラスの先生まで大好きと言って、このドラマについて熱弁していた。
あの頃は、好きなときに好きなドラマを観られる時代ではなかったから、Blockbusterという、アメリカ版ツタヤでDVDを借りて、みんな観ていたけど。
私にとっては、刺激が強すぎた。セックスシーンの多さもそうだし、女性たちのオープンさも、過激すぎた。私はピュアで田舎ものの、日本の若者だった。
それから数年がたち、27歳の私はカナダにいた。
カナダ人の親友が、「久しぶりにセックス・アンド・ザ・シティを観なおしたい」と言い、一緒に観ることになったけど。
このときは、笑えるドラマとして観ていた。
女子が好きな、ザ・アメリカンドラマ。内容そのものよりも、友人とワインを飲みながらドラマを観る、そのひとときの空気感が好きだった。
さらに数年がたち、33歳になった。
今の旦那と付き合い始めたころに、なにかの流れで、セックスアンドザシティをまたまた観始めた。
彼女たちの恋愛奮闘記に、男目線と、女目線で、あーだこーだ言いながら観るのは楽しかった。
でもこのときも、私はまだ傍観者だった。
少し年上のお姉さんたちの恋愛奮闘記、という距離感。
そして今。43歳。
ちょうどドラマの中の彼女たちと同じくらいの歳になった。
Netflixでセックス・アンド・ザ・シティを見つけ、流し見を始めた私は、泣いた。
私はようやく、セックス・アンド・ザ・シティ共感期に入ったのだと思う。
これはただの恋愛ドラマじゃなかった。
まさに、人生だった。女性が生きる奮闘記だ。
大富豪に愛されているのに、どこか満たされないキャリー。
家族のために、マンハッタンを離れ、郊外に住むことを決めたミランダ。
子どもが欲しいのに授からないシャーロット。
独身を謳歌していたのに、乳がんになるサマンサ。
人生は、思い通りにならない。
それでも彼女たちは、明るさとユーモアを忘れず、
信じる友やパートナーを頼り、頼られながら、前に進む。
43歳の私には、それが現実として分かる。
そしてそう思った直後に、ふと気づく。
数年前、キャリーたちが50代になったセックスアンドザシティの続編を、
「さすがに出演者たちが老けすぎていて無理だわ」と言いながら、途中で観るのをやめていたけど。
あんなに子どもが欲しかったのに、子どもが思春期になって悩むシャーロット。
キャリアより家族を優先してきた先で、不倫をするミランダ。
パートナーに先立たれる孤独を味わうキャリー。
そんな50代の女性の人生に、私はまだいない。
やっとセックス・アンド・ザ・シティの1に追いついた私だけど、セックス・アンド・ザ・シティ2にもすぐ追いつくからさ。
思い通りにいかない数々のことを、笑いとばして、決断しながら。
すぐ、追いつくからさ。
少し先の未来で待ってて。