娘が行方不明になった話

シンガポール子育て

週末に、友人を招いてプールサイドでバーベキューをしていた時のこと。

2歳の娘と、同じ年のお友達が仲良く遊んでいるのを横目で見ながら私たち大人は酒を飲みお喋りをしていた。

娘とお友達は、プールからバケツに水を汲み、木に水をあげていた。

何度も何度も同じ行動を二人で繰り返しているのを見ながら、大人たちは笑ったりしていたのだ。

あれ?と思った時、2人はいなかった。

それでも最初は、どこか違うところで遊んでいるだろうと、きょろきょろと歩いてみた。

あれ?

お友達のお母さんも、あれ?と思いながら、「いた?」と私に声をかけながら歩いてきた。

いや、いない。

あれ?あれ?

私が共有トイレの扉を開け、子供たちがいないかを確認しはじめ、お友達のお母さんは、プールの中を確認しつつ、プール沿いを走って探し始めた。

遠くに走って行ったお友達のお母さんが、大声で「いない!」と言った時、恐怖感で全身が凍り付く。

私は旦那や他のお友達がおしゃべりしているエリアに戻り、子供2人がいない!と叫んだ。

え!?と慌てて親含めその他の大人5人がみんな立ち上がる。

旦那が慌てふためき、Oh my!と大声で言いながら、100キロの巨体で走りだした。目にも止まなぬ速さで駆け抜ける巨体に、「そっちはもう探したよ!」と言ったけど聞こえていないようですぐに巨体は見えなくなった。

みんなで捜索をはじめてから数分後、「ぎゃー-」と泣き叫ぶ娘の声がどこかから聞こえた。

なぜか遠くから。

生きてる!という安堵の瞬間の後、けがをしたのではないか、痛がって泣いているのではないかという不安がこみ上げる。

誰かが、駐車場だ!といい、数人がエレベーターで駐車場に向かい、数人が非常階段で駐車場に向かい、数人が近くを探した。

大声で娘の名前を呼ぶ。ただ、私の声を聞いた娘が私を探し、フェンスから身を乗り出すことはしないだろうか。

私が切羽詰まった大声で娘を呼ぶことは、正しい行為なのかというのを考えながら、それでも自分の恐怖を振り払うように、大声で叫ぶことはやめられなかった。

私たちがいた2階から、非常階段で上の階にあがり、3階のドアを開けた。

いない。

また上に上がり、4階のドアを開けた。

いない。

ただ、娘の泣き声が近くなっている。

4階のフロアをまんべんなく探すか、それとも上の階に行くか。

迷って上の階に行った。

5階の非常階段をあけたその場所に、娘はいた。

泣き叫ぶ娘と、立ちすくむお友達。

その横に、優しいカップルがいてくれて、困惑した男性と娘をなだめてくれてる女性の姿。

この瞬間を、私は一生忘れないだろう。

不安と恐怖から一瞬で解放され、安堵と後悔の感情が沸き出たその瞬間を。

私は泣き、娘を抱き上げた。そのあとすぐうしろから来ていた他のお友達が、娘のお友達を抱き上げ、非常階段で降りた。

頭が真っ白になり、カップルに軽く「Thank you」とだけ言い残し。

カップルはおしゃれをしていたので、デートにいくところだったのだろう。エレベーターで下に降りて行った。

今思うと、優しいカップルにその時の状況を聞き、お礼を言いながら、エレベーターで一緒に降りればよかったと思うけど。

携帯電話も持っていなかったので、一刻も早く旦那に知らせなきゃと思い、2階のバーベキューエリアに戻り、携帯で旦那に電話をした。

駐車場を探していた旦那。「まだいない!」と泣きそうになりながら電話にでた旦那に、「いたよ。」と伝えて電話を切った。

これは私たち大人の予想だけど、子供たちはエレベーターに2人で乗ってしまったのだと思う。

エレベーターの開閉のボタンも背の届く位置にある。5階のボタンも背の届く位置に。

エレベーターに乗り、違う階に着いたところで戻れなくなり泣いているところに、出かけようとしていた優しいカップルが来てくれたのではないか。

とにかくよかった。

子供は一瞬で視界から消え、予測しない行動をとることを学んだ。

今でも思い出すたびに震える経験。本当の本当になにもなくてよかった。

Cocoaプロフィール
cocoasan

2014年、旅行でたまたま訪れたシンガポールに魅了され、32歳で現地採用の銀行員としてシンガポールに移住しました。現在は、フィットネスジムを経営する夫を手伝いながら、シンガポールで子育てをしています。

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