学生の頃ストーカーに合って強くなったこと

ひとりごと

アメリカの片田舎で学生をしている20歳くらいの時、数か月間ストーカーにあったことがある。その時に学んだことが。

たぶん犯人は、クラスメイトの日本人が大好きな白人の男。

いつも日本語が書かれたTシャツを着、日の丸のついたハチマキをしてクラスに来ていた変わり者っぽい男。

クラス内の提出物や、その他のやりとりは、クラスメイト全員のメールアドレスが宛先に入って先生から送られてきてたので、たぶん、そこから私のメルアドをとったのだろう。

はじめはわけのわからないメールアドレスからメールで、「You are so beautiful」「I am in love with you」などとメールが来た。。

「きもっちわる」くらいにしか思っていなかった私。

クラスでその男からの視線は感じるが、同時に避けられている感じ。こちらからも遠目に、あああいつ日本人好きそうだな、と思う程度。

その後、1台のジープをよく見かけるようになる。

下校途中や、街をブラブラしている時。

ふと前を向くと、「あれ?あの車?」という違和感から、「あの車よく見るな。」になり、「あの車私を待ってる?」という恐怖に変わる。

そしてそれから、その車は突如あらわれ、私に大きくクラクションをならし走り去る、というような行為がはじまった。

家を出た瞬間から、車がついてきてないだろうかと心配しながら目的地までたどり着く精神的疲労感。

車につけられるようになってからも、気持ち悪いメールは続く。

今日はおしゃれして歩いてたね、とか、赤のブーツがかわいかったなどといったメールが届き、車のやつとメールを送ってくる奴が同一人物だと確信はするが、車に乗ってるやつの顔がいつも見えない。

微妙に距離を保って待ち伏せしていたり、猛スピードで後ろから走り去って行ったりするので、車の運転している男の顔が確認できずにいた。。

大学付属の留学センターのおばさんに相談すると、「道を歩くときは誰かと一緒に。」「暗くなってからは歩かないように。」などあたりまえのことしか言われず。

あの頃英語もままならなく、他国で警察に行くのも敷居が高いな、と思い、精神的に病みはじめ、しばらく休学して日本に帰ろうかしら、なんて弱気になっていた頃。

家に帰りドアを開けようとしたら、ドアノブにどっぷりとジェル状のものがついていて私の手にべったりとまとわりついた。

あいつだ!

あいつに家を知られている!という恐怖に加え、今この状況をどこかで見られているのではないかという恐怖が重なり、冷や汗がでる。

恐怖と同時に湧き出る、恐ろしいほどの怒り。怒りが恐怖に勝った瞬間。

私はなぜか、その足で、今まであいさつ程度しかしたことのない隣の家のドアをドンドンたたく。

隣の家はイケてる白人の学生たちが数人で住んでいる。

1人が何事だという感じで家のドアを開けたとき、私は友人でもないイケメン学生に、怒涛の怒りをぶつける。

「LOOK AT THIS!!」と言い手の平を見せ、いままで自分の身に起きたことをドバドバと吐き出した。

英語に自信がなくて、いつも挨拶以上の会話を避けてた人たちに、想いをぶつける。

リビングでビールを飲みながら雑談していた他の白人学生たちも、なにごとだ、という感じで家の外に出てくる。

1人の白人学生が、「君、その手についてるジェル状のものは、精子かもしれないよ!」と言った時、私が自分の手の匂いを嗅いで、

「違う!精子はこんな匂いはしない!もっと違う匂いだ。」と叫んだ時に、学生たちはドッと笑い、「YOU ARE SO FUNNY!」となぜか私は褒められた。

今まで、イケメン白人学生は、隣人である私と、私のハウスメイトのアジア人数人をバカにしていたと思う。

家でご飯を作っていると、「おならの匂いがするぞー」と外で笑われたり。

私は、白人学生たちに「いい?私は1人でアメリカに来てるの。ボーイフレンドもいないし、あんたたちが私を守ってよ。でかいんだから。あやしいジープをみかけたらとにかく追い払ってよ!」と言うと、みんなも勢いに負けて、「おう、オフコース!」と軽いノリで受け入れてくれた。

その後家に帰り、自分のハウスメイトたちにもはじめて訳を話し、警告する。

ハウスメイトたちも私を心配し、なるべく行動を一緒にするよ、と言ってくれた。

恐怖は消えない。ただ、自分から他人に助けをもとめ、他人に話を聞いてもらい、笑い合い、うけいれられたことで、今までの恐怖と怒りは、「負けるもんか」、という闘志に変わっていった。

そして数日後、外でタバコを吸ってる隣人白人学生に会った時「おう!今朝ジープが家の近くにとまってたから追い払っておいたぞ。ただ駐車してるだけか、あんたが言ってるストーカージープかわかんなかったけど、とりあえずファックユーって追い払っておいた。」と。

色とか確認したら合ってたし、ファックユーって言ったら車走らせていなくなったらしいので、たぶん私を待ってた車で間違いなかっただろうけど、それにしてもとりあえず追い払う?

笑える。

そのすぐあとに1学期が終わりクラスも変わって、私がたぶんあいつだなと感じてた男ともクラスが変わった。

そのせいもあってか、白人学生が車を追い払ってくれたからか、理由は定かではないけれど、メールも来なくなり、車もみなくなり、私はなんとかアメリカの大学を卒業できた。

泣いてるだけじゃ、待ってるだけじゃ、誰も助けてなんてくれない。

ここでは自分の存在をアピールして、全力で相手にぶつかって、助けてほしかったら自ら助けを求めないと、なにも成し遂げれない、ということを学んだこと。

Cocoaプロフィール
cocoasan

2014年、旅行でたまたま訪れたシンガポールに魅了され、32歳で現地採用の銀行員としてシンガポールに移住しました。現在は、フィットネスジムを経営する夫を手伝いながら、シンガポールで子育てをしています。

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