常夏シンガポールより

2014年シンガポール渡星。シンガポール在住イタリア人と国際結婚。現在子育て中。

アンパンマンは教育上よくないと言い張るイタリア旦那の子育て理論

アンパンマンを嫌う、なんて発想に至ったことがある方はいるだろうか。

 

子供から大人までに愛される、愛と勇気だけが友達のアンパンマン。

 

子供のころからアンパンマンを見て育ったし、(あれ、もしかすると子供の時はまだアンパンマンは誕生していなかったかもしれない。)道行く子供たちがアンパンマンのグッズを持っているのを見て、おもちゃで遊んでるのを見ても、何も思わない程に、アンパンマンは私たちの生活に浸透しているので、好きとか嫌いとかいう風に思ったことある人はいないのではないだろうか。

 

もちろん私も子供ができたら、普通にアンパンマンのアニメをみせ、ほしいと言えばアンパンマンのグッズを買い与え、アンパンチと言ってパンチされれば、バイバイキーンと言ってばいきんまんになりきって遊んであげるであろう、つい最近まではそう思っていた。

 

かれこれ1年前、妊娠したばかりのころに「子供ならだれもが知っているキャラクター」の話で旦那と盛り上がり、当然のごとく私は「アンパンマン」を教えた。

Youtubeでアンパンマンがお腹がすい仲間に自分の顔をあげる、名シーンをみせたのだ。日本が誇る、やさしいアンパンマンを、誇らしげな気持ちで。

 

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すると旦那は、顔をしかめながら「自分の顔をちぎるなんてクレイジーだ。」といい、「ホラー映画だ。僕は絶対にこのアニメを娘に見せたくない。」と言った。

 

いや、そのままうけとるんじゃなくて、自分をなげうってまで仲間を思いやる気持ち、とか、そういうとても深い意味が隠されているのです、と説明したけど、「人はな、自分で自分を守らなければいけないんだ。困ったときに黙って泣いてたら、わけのわからないヒーローが助けてくれるなんてことを覚えちゃいけないんだ。」と。

 

まあその時は、冗談半分に聞いていた。これから産まれてくる赤ちゃんを楽しみにしながら、かわす夫婦の会話として。

 

そしてそれから時は過ぎ、娘が産まれた後、日本で私の両親がアンパンマンミュージアムに連れて行ってくれた時も、遠いシンガポールで旦那は難色を示してきたのだ。

 

「アンパンマンと関わるのは、これが最後だぞ。」という捨て台詞をはいて。

 

アンパンマンショップに行った話は↓

それでも私はたいして気にしていなかった。だってアンパンマンだし。うちの旦那がなんと言おうが、日本人全員私の味方だし、なんてことを思っていたけど。

 

今日、前にアンパンマンショップで購入したアンパンマンの絵柄がついたガーゼを使っていて、旦那がきれた。

 

君は僕が何度もアンパンマンをみせる教育をしたくない、と言っているのに、真剣に聞かない。僕は戦争で殺しあうテレビゲームを娘がすることは教育上問題ないと思っているけど、君は嫌だと言っただろ。僕は妻であり母である君を尊敬しているから戦争ゲームは娘にさせないつもりでいる。

 

なのに君は、アンパンマンをみせたくないという僕の父親としての意見を無視している。」と。

 

アンパンマンと、戦争ゲームを天秤にかけること自体がおかしいのでないか、とは思った。でも、これが価値観である。

 

物事の価値観、国際的な価値観。アンパンマンのとらえ方。アンパンマンを愛と呼ぶか悪と呼ぶか、それは価値観だ。

 

もういい。

 

娘には、アンパンマンとは関わらせないことにするしかない。近い未来に日本人のお友達がアンパンマンのおもちゃを持っていて、それを娘がほしいと言おうが、このキャラクターかわいい、と言おうが、NOと言うしかないのだ。

 

愛と勇気を持ったアンパンマンを、自分の顔をちぎってまでお腹が空いた仲間を助ける優しいアンパンマンを、「なんのために生まれて、何をして生きるのか、わからないまま終わる、そんなのは嫌だ」とやなせたかしの名言を、娘は知らないまま育つ。