北海道に住む両親が、東京に住む弟家族のところに行く、と聞いたので、私も娘を連れてシンガポールから合流した。
仕事があるので、夜行便で羽田まで飛び、夜行便でシンガポールまで帰ってくる3泊4日。次の日からオフィスへ。子連れ。
42歳にして、フットワーク軽いだろっ。
羽田空港までは弟が車で迎えに来てくれて、千歳空港から飛んだ両親と合流。娘は兄弟のような従兄弟たちと、会ってすぐに遊び始める。
夜行便で東京に着いたその日に、伊豆まで車で約3時間の長旅。
温泉宿では、マシュマロを焼くイベントがあり、バーベキューがあり、プレグラがあり、ファミコンがあり、足湯があり。
目が回るほどのはちゃめちゃさ。
温泉ではゆっくりと湯につかる間もなく、大人はかわりばんこにささっと湯につかる。
子供たちは温泉さえつからずに、部屋のお風呂でわいわいと。1個しかないバスボールを均等になるように3等分したり、押し入れからジャンプする子供たちを笑って叱りながら。
ずっと冗談をいいながら、笑いながら、なんて愛にあふれてるんだろう、と幸せになりながら。
これは、母と父が2人で築きあげた成果だな、と思った。夫婦仲が悪いときがあっても、どんな間違いがあったって、私と弟からは絶対に目を背けなかった人たち。
親の愛を重いとほざき、気遣いを邪魔だといい、親のお金で外の世界を見たくせに、自分たちが何者かになったかにようにいきがり、かっこつけてきた私だけど。
それでも、子供たちの喜びを、幸せを、それこそ全身全霊で願い続け、追い求めてきた彼らの何十年もの日々の先の今が。
多少なりとも変わり者の私と弟も、家族を作り子供ができて、やっと彼らを追う。
子供の幸せを願い続けることの意味を。そこで繋がり、強まる家族の絆を。
帰る時、楽しくてしょうがなかった娘は、はやくまたみんなに会いたい、と泣いて笑った。
最終日に、娘は疲れからか胃腸炎になったし、私はシンガポールに帰ってきてから疲れがとれなくて重い体を引きずり出社し、年を感じた。
また、すぐに会えるよ。
思い出を振り返りながら、まだ時々笑ってる。