自分のブログの過去の記事を読み返して、「あ、これなんかかっこつけてるな。」とか、「え、そんな風に思ってたの?自分。ウケる。」とか思うことが多々ある。
人の物の見方や価値観なんて簡単に変わるもんじゃない、と思うけど、案外気づいてないだけで、価値観がコロコロ変わっているな、と思うことが、ブログを見返すとよくある。
そして、書いて残してないと、その時の気持ちなんて案外一瞬で忘れてるんだな、ということも。
シンガポールに入国して数日、ホテル隔離を余儀なくされ、4か月半の娘と四六時中一緒にいる。今までは母親と父親の全面的サポートの上で子育てをしていたけれど、いきなりの強制ガチンコワンオペ育児に挑む私。
そんな中、自分の過去ブログで「なんで育児を大変と思ってしまうかを考える」という記事を見返す。そして思う。恥ずかしい。消えてなくなりたいくらいに。
だって、そんな記事を書いていた頃、私は父と母のサポートにべったり甘えていたんだもの。
なんで育児を大変かと思うのかを考える~1
最初この記事を書いた時、娘はまだ2週間くらいだった。まあ、大変だった気持ちはわかる。ただ、私はこの時泣く娘を父親に世話させ、「疲れた時は甘いものが一番」などと言ってケーキを食べ、コーヒーを飲みながら書いたのではなかったっけ。
「モンブランってくどいよね。モンブラン好きな人の気がしれないわー。」と、父親の好きなケーキをバカにしながら。
このときの私が育児を大変と思った理由を見てみよう。
たぶん、「つらい」とか、「大変だ」とか、心折れそうになる時は、100パーセントの力でがんばり、愛情を注いでも、それが報われないときに起こる感情なのではないか、と思う。
だって。なんか言いたいことはわかるけど、泣く赤ちゃんほったらかしにしてブログで100パーセントがんばっても報われない、とか言ってほしくないよね。
なんで育児を大変かと思うのかを考える~2
そして、娘が3か月になったころ、懲りずに私はパート2を公開している。この時は娘を午前中いっぱい母親に預けて、「昨日全然寝てくれなくて疲れたわ、ちょっと寝てくる。」などといってぐーすか寝てたような気がする。
ゆっくり寝て起きて書いたブログではなかっただろうか。
このときの私が育児を大変と思った理由を見てみよう。
きっと育児を「大変」と思ってしまう根本の理由は、「子が産まれたことで芽生えてしまった限りない母性」のせいだ。
丁寧にハイライトして名言のような言い回しにしているけれど、正直全然意味がわからない。
芽生えた母性のせいで育児を大変と思うんだってさ。ぐずる赤ちゃんを母親に預けて寝てる人がね。
なんで育児を大変かと思うのかを考える~3
そうしてなんの準備期間もなく、強制ガチンコワンオペ育児に突入した今の私が思う育児の大変さ
自分の時間をもてない疲労。これに尽きる気がするんだけど、どうだろう。もう自分の考えに自信がもてない。
でも、待てよ。今私はワンオペ育児ではあるけど、ホテル住まいの身。ご飯支度はしなくてもいいし、掃除に洗濯もしなくてよい。
近い未来の私は、今の私の育児に対する価値観を笑うにきまってる。