COCOA'S BLOG

常夏シンガポールより発信中

あの頃の夢を語ったエッセイ~20年後の今

 

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夢は願い続けていれば叶うのだろうか。

高校の時開催されていたスピーチコンテストで、最優秀賞と優秀賞の2名がカナダのビクトリア州の学校に1週間体験入学に行けるという、田舎のスピーチコンテストではありえないようなとても豪華なおもてなし企画が毎年あった。

あの頃、海外に多大な憧れをもっていた私は、入念に準備をし、それこそ死ぬ気で頑張り最優秀賞をとり、カナダへの切符をゲットした!

ホームステイを体験しながらカナダの高校で1週間過ごす。ウルルン滞在記並みの設定に、期待だけを膨らませ、カナダに飛び立った。

カナダの高校の体験入学を終えた私が書いたエッセイを自画自賛しながら、のせてみる。

カナダの高校体験入学を終えた私が書いた夢いっぱいのエッセイ

「3月21日、小雨が降り少し肌寒い中であったが、それでも心躍らせ日本を発った。成田からバンクーバーへの直行便に乗るはずが、ちょっとしたハプニングからビジネスクラスで一度アメリカに入国。あこがれでもあった「自由の国アメリカ」にたった数時間ではあったが、足を踏み入れることができ、その後、無事カナダへ入国したのだった。

ビジネスクラスは快適で、次々と運ばれてくるものを食べながら、個人用テレビで好みのビデオを観て、眠たくなったら足をのばして寝ていたら十一時間なんて、あっという間に過ぎてしまった。世界は広いと思っていたけど、たったの十数時間で、そこには自分と髪も肌の色もすべて違う人間が当たり前のように生活しているのだ。

私は、今回の旅の出来事をどういった言葉で表したらよいか悩んでしまう。なぜなら本当に多くの体験をし、自らの目で学び得てきたことがあまりにもありすぎて、それをたった一言で「楽しかった」「いい思い出ができた」で片づけてしまうのはもったいない気がするからだ。私が体験入学したバーニエ高校には、交換留学で留萌に来た時に友達になったターラとクリスティンが私たちを出迎えてくれ、抱き合って再開を喜び合った。高校には実に色々な人がいて、カジュアル系スタイルが主ではあったが、中にはマントをはおった人、パーティードレスを着た人など、みんなとても個性的であった。

授業内容も日本の中学生レベルなのだが、態度や外見が大人っぽく見えるのは個人の考えをしっかりもっているからかもしれない。

学校の横には託児所が設置され、私と1,2歳しかかわらない夫婦がベビーカーを押して登校してくるという、日本では信じられない光景も目にし、改めてこの国の自由さを知ったが、それと同時に今の日本の都市部にいる「コギャル」というものや「キレル」学生が起こす犯罪が相次いでいるこの国を改めて見直してみなくてはいけないとも思った。

日本に住んでいる人は、私も含め、この国の制度しか知らないのだから、それが当たり前だと思ってしまう。しかし、豊かさやや幸せの価値観のとらえ方は国によって違うのではないか。日本人に少しゆとりがないように私が感じたのは、カナダ人がゆとりをもって、自分自身のライフスタイルをとても大切にしているということが、短い滞在期間の中でもはっきりと理解できたからだ。

たーらと別れるとき、私たちは抱き合って泣いた。そして私は「いつかまた、必ず来る」ということをたどたどしい英語で伝え、彼女も「必ず留萌へ行く」ということを言った。「そしたらすれ違いになって会えないね。」と二人で笑った。

言葉なんか通じなくたって、心がある。私たちは心でしゃべった。しかし、言いたいことがのどで詰まってしまい、頭の中で単語や文法を並べている自分が悔しかった。

私は、もっと英語を学んでターラと約束した通り、必ずカナダへ行くであろう。そして、そのほかにも色々な国へ行き、その国独特の文化に触れてみたいと思う。今回の旅で、私は夢のスタートを切った。

毎日が忙しく過ぎていく中でも、自分を見失わずに精いっぱい生きよう、そう心に誓った。」

21年後の自分の気持ち

自分を取り巻くすべてに牙をむき、戦闘態勢だったあの頃の私を思い出す。北海道の田舎から外に出たくてたまらなくて、常にもやもやしていた自分。

私は世界を見てみたくてたまらなくて、でもその方法がわからなかった。今よりもインターネットが普及しているわけでもなく、得られる情報量があまりにも少ないなかで、「飛び込んでいく」ことだけで、次につなげていけたんだと思う。

20年後、あの時の私がエッセイに書いた、夢見た未来にちゃんといる自分がとても嬉しい。

英語を使って自分を表現して、世界が何倍にも広がって、海外に住んで、自分とは肌の色も、髪の色も違い、価値観や考え方の違う人たちと仕事をしたり、結婚したりしている。

たくさん失敗もして、悔し涙も何度も流した。裏切られたり、裏切ったり、とてつもなく寂しい思いをして、耐えきれないほどの孤独を味わって、それでもあの時夢を描いた私が選び抜き、勝ち取って、築き上げてきたもの。

 

私は、今持っているものにありがたみを感じず、持っていないものにだけ目を向けて不幸だと言って泣いてきたのかもしれない。20年前の私が、10年前の私が、5年前の私が手を伸ばしながら掴もうとした全てを、ちゃんと手に入れているのにね。