土曜日の朝、近所のゴミ拾いをはじめて1か月。ハイハイ時期が長かった娘は、外でもどこでもハイハイをしていたので、ゴミが危ないな、とずっと思っていたことがきっかけで始めたゴミ拾い。
シンガポールはゴミを捨てると罰金、なのでちり一つ落ちてません、的なイメージが日本では定着しているけど、普通にゴミは落ちている。
ヨーロッパやほかの東南アジアに比べるともちろんきれいで清潔な国だけど、子供が安全に遊べるのに十分か、というと、十分ではない。
近所をお散歩しながら、タバコの吸い殻は私が火ばさみでとり、ごみ袋に入れる。
タバコの空箱やペットボトルはむすめが手でひろい、1個1個ゴミ箱に捨てる。
非効率極まりないゴミ拾いだけど、娘が楽しんでるのが嬉しい。
そして、ゴミ拾いをはじめて、母をいつも思う。
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私の母は、かれこれ20年前、私と弟が同時に巣立って家を出たと同時に、軽いうつ病になった。
元気はつらつ、怖い者知らずだった母親の突然のうつ、という報告に、私は戸惑いはしながらも、自分のことで精いっぱいだった18歳の頃。
それから間もなくして、「ママね、海のゴミ拾いをはじめたの。」と報告を受けた。父親と一緒に、ボランティア活動をはじめたというのだ。
そういう人じゃないのに。田舎の呉服店のお嬢様だった母は、ごみを拾って、海がきれいになって嬉しいわ、と喜ぶタイプなんかでは決してない。
母親が鬱だと聞いた時よりも軽いショックをうけた。
なんでそんなことはじめたのさ?全然キャラ違うじゃん?と軽くバカにした口調で聞くと、「もう子供たちに直接してあげられることはないけど、子供たちが帰ってきたときに、海を見て癒されて、またがんばれるように。」と言った。
それから何度も田舎に戻るたび、夕日が沈む日本海の海に癒され、またどこかに戻った。
母親が、父親と2人ではじめた海のボランティア活動は、母親の負けん気の強さと、持ち前の明るさと、お嬢育ちで培った愛嬌とで、全国でも表彰される団体となった。
そうして海のボランティア団体「蒼い海」を立ち上げてからちょうど10年後、母は58歳で市議会議員となり、今でも街に、市民に貢献している。
子供のことを想い、寂しさからゴミ拾いをはじめ、それを自分のキャリアにまでつなげた母。
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私が娘とはじめた週末の小さな小さなゴミ拾い活動。
小さな子供がタバコの空き箱を拾ってゴミ箱に捨てる姿を見て、ゴミを捨てる大人が1人でも減ればいいと思ってること。
子供が安心して遊べる街になってほしいと願うこと。
母親がはじめたことを私もはじめて喜んでくれるだろうとおもい、「ママ、子供と一緒に近所のゴミ拾いはじめたんだよ!」と嬉しそうに報告したのだが「キャラじゃないじゃん。」と驚かれた。
確かに、全然キャラじゃない。子供が自分の行動力になり、子供の未来を願うこと。意識高い系ママを目指すのだ。