COCOA'S BLOG

常夏シンガポールより発信中

アメリカのテロから20年。自分の感情と父親との関係。

20年前、アメリカニューヨークでテロがあった年、それは私がアメリカに留学した年でもあった。

 

高校を卒業してすぐにアメリカのワシントン州の田舎に留学し、はじめての学期をやっとこ終え、日本で夏休みを過ごし、アメリカに戻ってきたその次の日に。

テロ当日、私の母親がアメリカに遊びに来る予定だった。

 

前日の私と同じ飛行機のチケットがとれずに、私が前日、母が翌日、というヘンテコなチケットの取り方をしていた。

 

時差ぼけもあり、シェアハウスの一室で爆睡していたとき、ドアをどんどんどんどんたたき隣人の日本人留学生に起こされた。

 

イラつきマックスでドアを開けると、テレビテレビ!と言われテレビをつけさせられたら、画面には崩れ落ちるビルと、灰をかぶったひとたちが逃げまとう様子が映し出された。

 

驚きも、怖さもない。寝ぼけた頭で、この人なんでこんな朝っぱらからテレビつけろって人の家にあがりこんできたんだろう、という疑問といらだちがうかんだ。

 

その後電話が鳴り、でると母親が泣いていた。今頃空港にいるはずである母親はまだ家にいるらしい。

母親の取り乱しかたで、やっと事の重大さが伝わってきた。

 

どうやらこのテレビに映し出されている事態は、母親が乗るはずだった飛行機さえ飛ばない重大事らしい。

 

そしてそれは、テロであり、自分が昨日入国したばかりのアメリカで起こっているらしいのだ。

 

やっと、ことの重大さがわかったところで、私はまだぼんやりした18歳。ニューヨークに留学してたらどうなってたんだろう、という自分のことだけをぼんやり考えて終了。

 

その後テロの影響で差別をうけたりいじめをうけたりしようとも、ぼんやりした若さのせいもあり、なんとかアメリカの大学を卒業した。

 

アメリカのテロから20年がたって、先日父親と電話で話していると「あの時あんたがテロの前日にアメリカに入国していなかったら、俺はもう絶対にアメリカに行かせてなかった。」と言った。

 

もし私が日本にまだいる間にアメリカでテロがあって、私が日本で足止めをくらってたら、「恨まれてもいいから、絶対に行かせてなかった。」んだって。

 

感情を表に出さず、自分の意見よりも子供のやりたいことを尊重してきた父親が。

 

そして、「テロがあったアメリカで、それでも自分を探すためにアメリカに残って勉強しているあんた(娘)を思って毎日泣いてた。」んだって。

 

あの頃、電話口で私が心配だと言うたびに、「ニューヨークとワシントン州は、北海道と沖縄よりも距離があるんだ。絶対に大丈夫だ。」と、励ましてくれてた父親が。

 

親になってから初めてわかった数々の感情。

 

私が親になった今だからこそ、父親はやっとあの頃の本音が言えたんだろう。

 

アメリカのテロから20年がたって。

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