常夏シンガポールより

2014年シンガポール渡星。シンガポール在住イタリア人と国際結婚。現在子育て中。

娘の育児保育園初日を終えて

6か月半の娘の、育児保育園初日が終わった。

 

娘が育児保育園に入る話は↓

前日は、予行練習をかねてベビーカーを押して保育園までの道を確かめ、園から指定された持ち物をバッグに詰めた。

 

当日は、旦那も当然のごとく一緒に行くと言いだし、緊張感でいっぱいの中、離乳食を食べさせてる私の横で、いつものようにベラベラとどうでもいいことを喋りかけてきた。

 

保育園では、保母さんになるために産まれてきたのではないだろうか、と思われるほど、とてもやさしい若くてかわいい先生が、娘を迎えに来てくれて、とても安心した。

 

普段人見知りはあまりしない娘は、きょとんとしたまま先生に抱かれ、奥に消えていき、私の感情は激しく波打った。安心と心配と不安な気持ち。愛しさと切なさと心強さと。

 

娘を預けた後、近くのローカルコーヒー屋に旦那と一緒に入り、食欲がない私の横で、旦那はいつもの調子でバクバク食べ、べらべら喋り、コーヒー屋で働くおじさんにまで「僕は卵の殻を上手く割れるから見ててくれ。」などと呼び止め、忙しいおじさんに迷惑がられていた。

 

私には、「ねえねえ、なんでロシア人がみんな無表情なのか知ってる?」なんてどうでもいいことを質問してきて、腹立たしさでいっぱいになった。

 

何度も「そろそろ仕事行ったら?」と言い、やっと彼を仕事に行かせ、いったん家に帰り、私は無になった。

 

娘の慣らし保育初日のこの2時間の間に、私はたまりにたまっていた仕事を片付けるはずだったのだ。娘のことは考えず、仕事にだけ集中して、「あら、もう娘を迎えに行く時間だわ。」とあわただしく用意をして迎えにいく予定だったのだ。

 

お気に入りのカフェに1人で行こうか、とか、コーヒーをゆっくりすすりながら、クロワッサンを食べようか、などと考えていたのだ。待ち焦がれていた1人時間をかっこよく楽しむはずだったのだ。育児に追われながら、仕事もこなす、思い描いていた女性像に自分を重ねて。

 

散らかったおもちゃ、食べかけの離乳食、溜まった洗濯もの、とりあえず家の片づけをしながら、娘を想う。

 

パソコンを開き、仕事のメールを確認しても、「どうでもいい。」と思ってしまう自分にうんざりしながら、鳴らない携帯をなんども確認してしまう。

 

「ダメそうだったら初日は1時間半で、大丈夫そうだったら2時間にしましょう。」と言った先生。旦那には、「泣いてもいいから2時間預かってほしいわ、1人時間が30分増えるってことじゃん。」なんて言ってはみたけど。娘はどうなんだろう。

 

ちょうど娘を預けて1時間後、先生から携帯にメッセージがきて、「娘さん大丈夫っぽいので、初日から2時間にしましょう。11:30に迎えに来てください。」と。そして保育園にいる娘の写真が一緒に何枚か送られてきた。

 

みんなと座って本を読んでもらっている写真。先生の膝の上で、他の子が遊んでいるのを不思議そうに見ている写真。泣きはらした目をして寝ている写真。

 

それを見て、私は壊れた。号泣。それは嗚咽。心の中の、かろうじて残っている冷静な部分の自分が「あんたバカか。」と笑うけど、母になってしまった感情的な自分がどうしても勝ってしまい、結局泣いていたらすぐ迎えに行く時間になってしまい、涙を拭き顔を整え家を出る。

 

ベビーカーを嫌がったら困るからと抱っこ紐を、帰り道は暑いだろうからと小型扇風機を、のどが渇いていたらかわいそうだとポカリスエットをボトルに用意して。

 

迎えに行き、先生に抱っこされ私に近いてきた娘。赤ちゃんらしく、泣いて手をのばしてくるのを想像し、期待さえしていたけど。

 

娘は私をみようとしない。仏頂面で目をそらす。娘からはじめて感じる怒りの感情にさえ、愛おしさを感じながら、彼女の大きな初日は無事に終わった。

 

その夜、旦那が家に帰ってきて「どうだった?」と聞くので、クールに「たいしたことなかったよ。」と言った。娘が保育園にいる写真を見ただけで、泣き崩れたなんてことは、絶対旦那には知られたくない。

 

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