COCOA'S BLOG

常夏シンガポールより発信中

トリリンガル育児

私の数少ない夢の1つに、娘をトリリンガルにするというのがあるんだけど、2歳を少し過ぎた娘が、英語に支配されはじめた。

 

私は日本語が母国語なので、私が1人で娘といるときは、ずっと日本語でおしゃべり。シンガポールで日本人の友達も多く、日本にいる両親とも毎日のようにビデオ電話している。

 

旦那はイタリア語が母国語。ただ、彼の中では英語を話す方が楽らしい。それに加え、友人もイタリア人以外で会話は英語、旦那の親とは週1くらいで電話で数十分話すのみ。

 

私はイタリア語が全く話せず、旦那は日本語が全く話せない。

私と旦那の会話は全て英語。

 

娘は、シンガポールのローカル保育園にフルで通っている。保育園では英語がメイン。中国語のクラスが週1であり、日本語のクラスが週1である。

 

ほんの数ヶ月前まで、色は日本語で言えたのだ。

あか、あお、きいろ、しろ、と。

 

かめ、くま、りんご、いちご、と増えてく単語に喜びながら。

 

それが、英語に塗り替えられていく。

 

せっかく日本語で覚えた色は、Red, Blue, Yellow, Whiteと。

 

くまさんだね、と絵本のくまを見せてもBear!と言い、りんご食べる?と聞くとI want Apple!と言う。

 

たぶん、日本語は理解しているけど、自分で言葉にだすときに英語になるんだと思う。

 

海外に住んでいる日本人の母親と、外国人の父親を持つ子供は、母親の言ってる日本語はわかるけど、発語は英語になりやすい、という。

 

私は娘に、港区の教育ママ的な夢だけど、日本語と、英語と、イタリア語の3言語を自由に操れる人間になってほしいという夢がある。

 

いい大学に入ってほしいとか、勉強ができるようになってほしいとかは特にないんだけど。

 

それは、違う言語を話せて、聞けて、読めて、それが複数であればあるほど、これから娘が人生でつまずいたときに、逃げ道が多くなると思うから。

 

娘が大きくなるころには、もっとテクノロジーが進み、言語の壁なんてないような世の中になっているかもしれないけれど。

 

それでも、両親のルーツである言葉を話し、その国にいる人たちとすぐに会話ができることは、ハーフとして生きてく娘の強みに必ずなる。

 

たとえ、なまいきになる頃の娘が、日本なんて発展途上国じゃん、こんな停滞国の言語なんて学んだって意味ないじゃんと反抗し、私が、日本だって昔はとても発展した国だったのよ、なんてなだめる光景が見えようが。

 

だから結局言いたいことは、トリリンガル育児って、どうしたらいいの?夢語る前に、調べなきゃ。