両親が、北海道からシンガポールに遊びに来ていた。
商売をやっている父親が、店をまるまる一週間休むのははじめてのことで、異国の地にいる大好きな孫の威力を思い知る。
70歳近い両親は、日本の田舎街で生れ育ったはずなのに、物怖じせずにシンガポールの環境にも慣れ親しんでいて嬉しい。
母親は、なんかみんな誰のことも気にしなくていいね、と言い、父親は、レストランなんかでも過剰なサービスとか嘘くさい作り笑顔がなくていい、と言った。
私が、シンガポールを気に入って移り住んだその理由を、両親も肌で感じて言葉にしていたのが嬉しい。
5月に一時帰国した時にずっとなついていたおばあちゃんたちのことを、娘はもちろん覚えていて、ババ、ジジ、と速攻でなついた。
娘は秒で調子にのり、両親が来ている1週間、お菓子やアイスを山のように食べ、就寝時間は夜中の12時という不良生活を送った。
その調子に乗りようは、まさかの保育園にいる間も発揮していたらしく、先生から「保育園で抱っこしないと大泣きするんだけど、最近変わったことがあったか。」と連絡が来たほど。
たくさん遊んで、たくさん甘えて、色々なところに行って、たくさん笑った。
みんなが、この1週間をとても大切に過ごした。
両親がいる間、数年ぶりに旦那と2人きりで、おしゃれをして夜の街に繰り出したりもした。
付き合っている時に毎週のように通った夜の繁華街。カクテルをワインを、洗練された料理たちを、薄暗い店内で味わいながら、一瞬自分に子供がいることすら忘れそうになったけど。
毎日のように外食をし、飲み歩いていた日々から比べ、量も食べれなくなり、飲めなくなり、夜10時前に眠たいね、と2人であくびを噛み殺しながら、ああ、あの頃より数年先の世界に自分たちはいるんだ、ということを再認識する。
そして、酔いのまわった頭で思い出し、話すのは、やっぱり娘のこと。
あっというまの1週間が過ぎ、家族で空港に両親を送りに行った。
娘はずっと大好きなババに手を振っていたのに、見送ったあとは、全くもって、1度も「ババ」と言わない。
両親の滞在中は、あんなにべったりだったのに。まるでクールに淡々と、来るもの拒まず去るもの追わずの精神を持った子供のように。
私が、「まだ別れの意味がわからないから悲しくならないんだね」と旦那に言うと、旦那は、「またすぐ会えるのを知っているから、悲しくならないんだよ」と言った。
この夫婦の価値観の違い。
そうだといい。
この先別れと出会いを繰り返すだろう娘には、またすぐに会えるから、悲しくなんかない、と、旦那のような価値観を持った大人になってほしい。
私もまた、友達のような2人にすぐに会いたい。