ぐったりとした長い長い1日が終わった。なんとか入国はできたんだ。後は2週間この部屋から1歩もでなければいいだけ。ただそれだけ、と自分に言い聞かし朝を迎える。
隔離ホテルに収容されるまでの話は↓
実は私は小さい時から埃やケミカルで起こるアレルギー性皮膚炎、そこから発症する喘息持ちで、環境が変わったりすると急に体中に湿疹ができたりするなんとも繊細人間だ。自称閉所恐怖症も、閉鎖的な場所にいるとアレルギーがでて体調が悪くなることからきているのかもしれない。
なので今回シンガポールに渡航する前に、念には念をで、昔からのかかりつけの医師から診断書をもらってきていた。
万が一発作が起こって病院へ行かなければいけない場合も診断書があるに越したことはない、と思って。
隔離生活2日目、ステイホームノティス(SHN)のコールセンターに電話で問い合わせをする。
喘息もちで、アレルギーで、部屋の換気が必要なのでホテルを変えてほしい旨を伝えると、電話口の担当者は、「診断書はあるの?」と。
「あるよ」といい早速それをメールで送る。しばらくして電話がかかってきて、「君のビザでは何もしてあげられないよ。シンガポール人か永住権を持っている人にしか対応してあげられない。」と。
そのあと、「あれ君、赤ちゃんと隔離されているの?」と聞かれたので、「赤ちゃんだよ。4か月の。」と言うと、「ちょっと待ってて。」と待たされること数分。
「ホテル変えてあげるよ。明日準備しておいて。」と。
たぶん私はかなりラッキーだった。担当の人が良かったのだと思う。入国審査の時のオフィサーではずれをひいて、もう少しで入国できないところだったけど、政府のホテル担当の人はあたりだったようだ。
次の日、午後1時に荷物をまとめておくように、とだけ言われた私はさらなるミステリーツアーに繰り出す。
行先は告げられていない。「君の喘息がひどくならないように、外気を取り入れられる部屋を用意する。」と言われたのみ。
嬉しさと、また違う不安とで、心臓がバクバクする。
きっちり時間通りに、フロントから部屋に電話がきて、これから荷物運ぶから外にでて、と。
荷物は全てホテルスタッフが運んでくれ、私は娘を抱っこして小型バスに乗り込む。
バスでの移動中、娘は外の景色にくぎ付けだった。きょろきょろと不思議そうに、カラフルな街並み、多様な人種が行き交う街並みを見ている。娘はこの街で、この国で、何を感じ、何を培ってゆくのだろう。
ダウンタウンに入ったところで、バスが泊る。チェックインをし、部屋に入るとそこからは、私が7年前一目ぼれして移り住むことを決めた街並みが。スイスホテル!!
娘にマリーナベイサンズを見せようとするけど、彼女は下でちょこちょこ動く車ばかりを見ていた。
あと12日よろしくね。懐かしきマリーナベイサンズにあいさつをした。